2023.08.22
今と未来のインターネット
東京慈恵会医科大学先端医療情報技術研究部 准教授
高尾 洋之氏
東京慈恵会医科大学HP:
http://www.jikei.ac.jp/univ/仕事から日常生活まで、あらゆるシーンで欠かせない存在となっているインターネット。
インタビューシリーズ「今と未来のインターネット」では、インターネットにさまざまな形で関わる企業や自治体、学校関係等に話を聞き、活動や思いを通して、読者に多様な視点や新たな知見をお届けします。
今回お話を伺ったのは、脳神経外科の医師で、東京慈恵会医科大学先端医療情報技術研究部准教授の、高尾洋之氏です。高尾氏は、日本で初めて保険適用となった医療用アプリ「Join」を開発し、政府の情報通信技術に関する戦略室の補佐官も務めるなど、医療の世界におけるIT推進の先頭に立ってきた第一人者。2018年に病に倒れ、自らが障がい者となったことで感じた、身体が不自由な方たちにとって必要な「アクセシビリティ」について、国をあげて議論が進む医療DXやデジタル化、医療に対する想いなどについて、お話しいただきました。
(本文中:敬称略)
川上城三郎(株式会社Cadenza代表取締役社長、聞き手)
高尾
私は脳外科の医師として、東京慈恵会医科大学(以下、慈恵医大)に勤務しています。より多くの患者さんの命を救うために医療に情報通信技術を活用したいと考え、慈恵医大に先端医療情報技術研究講座を発足させたり、政府の情報通信技術に関する戦略室の補佐官を務めたりしてきました。
忙しい日々を送っていた2018年8月、私の人生を大きく変える出来事が起きました。その日は朝からなんとなく体調がすぐれなかったのですが、突然倒れ、そのまま意識を失ってしまったんです。重症のギランバレー症候群という病気で、意識が戻ったのは倒れてから4か月後のことでした。
川上
発症後は、人工呼吸器で、声を出すこともできなかったそうですね。
高尾
そうなんです。四肢に麻痺があり、意識が戻った直後に動かすことができたのは目だけで、全身管につながっている状態でした。しかし、自分の意識ははっきりとあるのです。体が動かず声も出せず、周囲に自分の意思を伝えられないというのは、本当に辛いものでした。
寝たきりで声が出せない多くの方は、その辛さですら周りに伝えることができません。一方で、ギランバレー症候群というのは、発症直後が最も状態が悪く、だんだんと回復していく病気です。私も1年半たってようやく声が出せるようになりました。しかし現在も障害が残り、少しずつ麻痺が改善して肘は動くようになったものの、指先は僅かにしか動かず、足も動かすことができません。
周囲に意思を伝えることが難しい人や、自由に体を動かせない人がどのような困難を抱えているのか、皆さんに知ってほしい。そして、病気や障がいなどで生活に困っている人たちが、より豊かな生活を送れるように、アクセシビリティの考え方を広げていきたい、そう考えるようになりました。
川上
アクセシビリティの概念について、少し詳しくお伺いできますか。
高尾
アクセシビリティとは、一言で言うと「目的にいろいろな方法でアクセスできること」と考えています。元々は障がいがある人を対象にした考え方だったのですが、障がい者に限らず、高齢者や病気の方も含め、身体機能の衰えなどによって困っている人、不便を感じている人が、Webやいろいろな機器を活用して、生活を豊かにすることをアクセシビリティと呼んでいます。
例えば、私は現在も指が使えないので、テレビのリモコンを指で操作することができません。入院中は、チャンネルを変えてもらうためにナースコールで看護師さんを呼んでいたのですが、何度も何度も変更をお願いすると看護師さんも大変だし、こちらも気を遣ったり我慢したりして、ストレスがたまってしまいます。
そんな時に、リハビリのスタッフから、スマートスピーカーをすすめられて、使うことにしたんです。これを使えば、自分で「オッケーGoogle、〇チャンネルにして」と言うだけで、自由に好きな番組に変更できます。
これもアクセシビリティの一つですね。デジタル機器を使いこなすことが目的ではなく、テレビのチャンネルを変更するという目的にアクセスするために、指で操作することができない私がスマートスピーカーという別の方法を活用しているんです。こうしたことを多くの方に知ってもらえれば、困っている方たちの生活を良くすることができる、そう考えています。
川上
その考えを広げる取りくみの一つとして、慈恵医大では大学として初めてデジタル推進委員の任命を受けたんですね。
高尾
デジタル推進員というのは、デジタル機器やサービスに不慣れな方に使い方などを教え、きめ細かにサポートをする人たちです。デジタル社会の利便性をみんなが享受できる環境を作るために、国が立ち上げた制度です。アクセシビリティを広げたいという私の想いと一致していると感じ、大学に相談して応募しました。
例えば身体を自由に動かせない患者さんがアクセシビリティを知っているのと知らないのとでは、退院して家に帰ってからの生活の質が大きく違ってきます。また、患者さんご本人だけではなく、家族やヘルパーさんなど、周囲の方たちの理解も必要です。
病院はそうした方たちが定期的に通う場所なので、それぞれの方が困っていること、実現したい目的に沿って、どういう方法があるのか教えられる人が病院にいれば、きっとお役にたてるはずです。
ただし、それをするためには、まず教えることができる人、デジタルに長けた人材を増やさなければなりません。現役の医師はなかなか時間がとれないこともあり、医学生や看護学生など、若い人たちにアクセシビリティを伝えていきたいと考えています。そういう点でも、個人ではなく、大学全体として任命を受ける意味があると考えました。
川上
確かに、そうしたことを伝えられる人が増えれば、やむなく不便な日常を送っている方たちにとって、大きな助けになりますね。
高尾
慈恵医大を創設した高木兼寛という医学博士の教えに、「病気を診ずして病人を診よ」という言葉があります。病気の原因を探るだけではなく、病人に寄り添い、その人の痛みや苦しみを思いやることが大切だという意味です。
これから医療の世界で働く若い方たちにアクセシビリティの考えを理解してもらい、患者さんが病院にいるときだけではなく、その方の暮らし全体のサポートについても思いやれるような医療従事者になってほしいなと思っています。
川上
高尾先生は、医療IT分野の第一人者として、ご病気になる以前から各方面で活躍してこられました。現在注目を集めている医療の世界のデジタル化、医療DXなどについては、どのようにお考えですか。
高尾
これからの医療に、デジタル化や医療DXは欠かせないと思います。医療行為だけではなく、例えば、これから始まる医師の働き方改革の分野でも大きな力を発揮するのではないでしょうか。
働き方改革に関して、一般の企業では関連法案がすでに施行され時間外労働の制限などが始まっていますが、医師は仕事内容が特殊なため猶予期間が設けられ、2024年度からスタートするんです(上限時間等は一般企業とは異なる)。
医師の長時間労働は以前から問題視されてきましたが、新しいルールを遵守するためには、まずは勤務状況の正確な把握が不可欠です。医師は急な呼び出しがあるなど勤務形態が複雑で、勤務の適正管理が大変なのですが、この点で医療DXは大きな力を発揮するはずです。
川上
具体的には、どのような活用方法があるのでしょうか。
高尾
ビーコンという、スマートフォンにも搭載されているブルートゥース(近距離無線通信技術)を使った位置特定技術・装置があるのですが、慈恵医大ではこのビーコンの発信機を本院で約500箇所、分院を合わせて約1000箇所取り付けています。あわせて、約3400台のiPhoneを投入し、医師全員が1人1台、勤務中も持ち歩くようにしています。
ビーコンの近くを通ると、iPhoneに入れた専用のアプリがビーコンの電波をキャッチし、1日で最初にこの電波をキャッチした時間を出勤時間、最後の時間を退勤時間として勤怠管理をしているんです。
最初はGPSを使うという案もあったのですが、それだと病院を出たあと、勤務以外の行動も把握されてしまいます。
その点、ビーコンであれば、電波が届く近くを通った時のみ検知されるので、プライバシー侵害の懸念もありません。
また、出入り口だけではなく、病院内のいろいろな場所に取り付けたことで、勤務時間内に医師がどこにいるのか、細かく把握することも可能です。
病棟、医局、手術室、診察室(外来)など、医師は仕事内容によって、いる場所が異なります。業務の効率化や長時間労働の解消のためには、何の仕事にどれだけ時間がかかっているかを正確に見る必要がありますが、このシステムを使えば、労力をかけずにそれが実現できるんです。
川上
画期的なアイディアですね。携帯電話やスマートフォンは、医療機器に影響してしまうというイメージがあるのですが、その点は問題ないのでしょうか。
高尾
携帯は電波状況が悪いと、電波を探しにいくので、電気の消費量が大きくなります。そうすると、電磁波も大きくなってしまうんです。
それを防ぐために、病院の中にアンテナを設置して、通信状態を良くしました。実際に調べたところ、そうした状況下では電磁波はかなり抑えられていて、医療機器にもほとんど影響がないことがわかりました。病院ではPHSが使われることが多いのですが、消費電力もPHSを下回っていました。
川上
医療DXについては、国をあげて議論が進んでいますが、医師として望むこと、期待することは何かありますか?
高尾
一番は、経費の問題の解消です。いま、医療DXにしっかり取り組もうと思うと、ほとんどが医療機関の持ち出しなんです。例えば差額ベッド代のような考え方で、一定金額を患者さんにご負担いただくような仕組みも考える必要があると思っています。
アクセシビリティに関しても、不便さを解消するためにいろいろなツールを揃えるにはお金がかかります。補助を受けられる制度もあるのですが、例えばiPadは認められず専用の機器でないと補助を受けられないなど、使い勝手が悪いのが現状なんです。こうした点も、実態に即して、柔軟に判断できるようにしてもらいたいなと思っています。
川上
やはり費用の問題は大きな課題なんですね。
高尾
慈恵医大のようにiPhoneを全医師に配布したいけれど、費用の面ですすまないという相談をいただくこともあります。 私自身、いろいろな壁にぶつかりくじけそうなときもあるのですが、そんなときは、私の好きな「諦めたらそこで試合終了」(※漫画「SLAM DUNK」の登場人物のセリフ)という言葉を思い出しています。
医療DXをすすめたくても周囲の理解が得られず悩んでいる方もいると思いますが、例えば推進に積極的な上司が異動してくる可能性だってあるわけです。ぜひ、諦めずに挑戦し続けてほしいですね。
川上
ありがとうございます。最後に、高尾先生にとって「インターネット」とは、一言でいうとどのような存在でしょうか。
高尾
インターネットとは、私にとっては「情報源」ですね。
ただし、特に医療の分野ではまだまだ注意が必要で、使い方を間違えると時に危険なことも起きてしまいます。
インターネットの特性をよく理解し、うまく取り入れていくことで、生活を豊かに便利にすることができるものだと考えています。
インタビュー年月日
2023.07.27